本格派のワープロ廃止論
手書きの手紙を書かなくなってから、どれぐらいが過ぎるのかも思い出せない。高校生も後半に突入するとワープロばかり使っていたから、かれこれ10年近く、まともな文書で人に手書きを見せたことがない。
「電子メールやワープロで書いたものには心がこもってない」という意見もありますが、僕はこれには大反対。くだらない言葉を手書きで贈るよりも、「心に一発!」という言葉を電子メールで送るほうがいい。というのが僕の持論です。
しかし、久しぶりに朝日新聞の「閑話休題」を読んでみると、かなり本格的なワープロ廃止論があげられていました。心がこもってないだなんて、非科学的なものではありません。
ローマ字のように音を表す文字をタイプライターやワープロで打つときには、手で書いて表すことを「打つ」ことに置き換えているだけ。しかし中国語や感じを織り交ぜた日本語は、手で字を書くことで意味まで表現している。だからワープロを打つ際に、音を打つ作業に加えて意味を選ぶ作業(変換)をこなさなくてはいけない。
この2段階方式がひっきりなしに思考をかき乱して、ワープロで打った日本語の文章をだめにするというのです。言われてみればそうかも知れない。相当辞書を鍛えておかないと、だれしも誤変換に苛立つことだってあるはず。僕のようにボキャブラリーが足りない人間はともかく、語彙が多ければ多いほど、変換作業はうざったいものになるわけです。
だからといって今からワープロを捨てられるかというと、絶対無理です。ここに来てワープロ廃止論を叫ぶよりは、変換作業を限りなくゼロに減らしてくれるフロント・エンド・プロセッサーを開発した方がいい。僕はかしこいATOK12のおかげで、けっこう救われている。まだまだ期待はできるのではないだろうか。