「どうせやらせだ」と言ってみても
みなさんはテレビ番組の「やらせ」についてどう思いますか?
フジテレビ系の「愛する2人、別れる2人」で偽物の夫婦が出演して、やらせが発覚して番組が打ちきりになったのは記憶に新しいところ。「広告批評」の2月号に掲載されたノンフィクション作家のエッセイは、こんなことを言うわけです。報道ならともかく、あの番組はバラエティーだ。バラエティーはとりどりの演芸の形式だ。最初から作り物であることは分かっている、と。
僕は学生の頃に翻訳バイトをしていたのだけど、テレビ番組の翻訳になると番組の脚本ごと渡されて驚いたことがある。最初から最後まで、コメンテーターの偉い先生まで脚本で言うことが決まっていたので。しかも秒刻みで台詞を言うタイミングまで決まっていた。そんなことを思い起こしても、バラエティー番組が基本的にはやらせの固まりなんだと言うことは間違いない。
上述のエッセイに話を戻すと、普通の人間の方がよほど演技的な人生を送っているという。お受験に目の色を変えたり、ミイラ化した死体を「生きている」と言ってみたり。演芸や演技が本心や事実からかけ離れたものでなくてはいけないと考えるのは、もう古いのだと言う。僕達は多かれ少なかれ役割にすがりついて「やらせ」を生きていると。
だからやらせがすべて良し、と言われると、なんだか納得がいかない。少なくとも、「愛する2人、別れる2人」みたいな番組は見る気がしなくなる。番組で「これはフィクションです」と言わないからこそ、「え〜、ほんと〜」と言ってテレビを見る楽しみがあるような気がする。だって、問題の番組は真実みがあったからこそ面白かった。やらせがばれて打ち切りになったということは、やらせ打と言う前提があってはやっていけなかったわけでしょ?
だったらそんな番組、最初からつくるなよ、って思うじゃないか。