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学歴社会より学問社会

 さてはて、日本のいわゆる「学歴社会」が批判的なニュアンスで使われるようになったのは、いつごろからなのだろう。おそらく90年代に入ってからだという気がするが、答えを知っている人は掲示板に書き込みをよろしく。今回は毎日新聞に掲載されていた、榊原英資氏の「学歴社会の崩壊」から。

 学歴社会、つまり日本型能力主義。これは西洋でプロテスタント的な禁欲・勤勉主義が近代社会を支えたのに匹敵する。日本ではサムライ精神とこの学歴社会が近代でもっとも力を発揮した。ところが日本が近代化を終えると、ともに腐敗する。とにもかくにも、日本の大学生は全般的に勉強をしないからだ。ところが、世間は僕達により高度な知識と能力を求めている。

 ここで榊原氏は学歴社会から学問社会の転換があるとする。問題は、その新しい体系がないがために、日本人の多くが世襲主義へと後退していることだという。このご時世にサラリーマンになるよりは、家の商店を継いだ方がましだ、という感じか。まあ、なんとなく分からないでもない。この記事に書かれているとおり、日本は政治家も財界も、タレントまでもが「二世」であふれているのも事実なのだ。

 ここからが僕の考え。じゃあ、その学問主義の体系ができあがるまで、僕らはどうするべきなのでしょう。逆に言えば、本格的な学問で自分達を武装する手段が、この国にはない。だからこそ、資格試験が大ブームになってくるのだけど、なにも世の中の誰もが公認会計士になれるわけでもないし、その資格制度もやや足下がぐらついている。弁護士が足りないと騒がれるこの世の中で、日本弁護士会は司法試験の合格者を増やすことに反対するぐらいだから。

 それで結局、考え抜いた人は外国に行ってしまうような気がしてちょっと不安。もちろん、僕自身、何も日本にとどまる必要はないではないかという思いがある。しかしそうして、マジな人が次から次へと外国へ出ていくようだと、結局この国に新しい体系はできないのではないか。そんな疑問もあるわけです。この辺が、社会を良くすることの難しさであり、ジレンマなんだな〜と思うのです。

 結論がないけど、今日のところはこの辺で。