Main | 2000年01月 »

1999年12月31日

結局、懸案はすべて年を越す

 ついに大晦日です。偉そうに過去を振り返っている間に、来年のための準備を全くしないまま今日という日がやってきました。もちろん、これから約24時間ですべての残った懸案を処理するのは無理です。1日の後半は仕事場で過ごし、そのまま年を越すわけだから……。

 同じようなことを考えていた人も、結構いるのでは?

 そんなわけで、年賀状なり大掃除なり、おせち料理の準備なりなんなり、今年はすべて2000年問題のせいで遅れてしまったと言うことにしましょう。ちなみに僕は自分のマックに入っているInternet Explorer v4.5 が2000年問題に対応していないことを今日初めて知り、あわててアップデートバージョンを手に入れたのでした(マイクロソフトによると、これは正確には2000年問題ではないらしいが)。

 やり残したことの中で一番気になるもの。それは僕の場合、「自分の1年を振り返る」ことでした。90年代を振り返ることもなし。これをやらなかったのが何となく悔やまれて、仕方がないから年を越してから「僕の90年代のビッグイベント・トップ10」を作るつもりです。自分が過去10年にどういう道を歩んできたか、そしてそれを分析し、次の10年、20年をどう生きるかと考えるのに役立つと思うからです。

 みなさんの90年代は、どんな時代でしたか?

1999年12月30日

夫が妻のダイエットを妨害?

 相変わらず、毎日のようにインターネットでラジオを聴いている。で、アメリカのラジオのトークショーで「夫は妻のダイエットを妨害している!」という議題で論争が起きた。女性のDJはこの意見を全面的に支持していたが、男性からは反対の意見が殺到した。なぜか女性からの電話は全くかかってこなかった。

 で、大方の男性の言い分は「太っても愛しているから、好きなだけ食べて欲しいだけなんだ!」というものであった。素晴らしいではないか。こういう理由でダイエットが阻害される妻は幸せに違いない。健康面の問題を別にすれば、太って結構。しかしDJは反論する。「いや、男性は本当は細い女性の方が好きなのに、にも関わらずダイエットを妨害している!」と。

 そんなことはしないでしょう……。結婚してないから分からないけど。だいたい「男性は細い女性の方が好き」ということ自体、偏見も良いところである。男性が本当に好きなのはむちむちぷりんのお姉さんだ(これも偏見?)。と言う冗談はともかく、それは好みの問題でしょう。より現実的に言えば、やはり、結婚したら相手が太ろうがやせようが、関係ないはず(健康面の話題は別のレベルにすればの話で)。

 ちなみに僕の周りには、奥さんに食事規制をかけられている男性の方が、奥さんのダイエットをどうだこうだという男性よりはるかに多いのです。ここが日本だから?まさか。そんなわけで、夫が妻のダイエットを妨害しているだなんて論争は、自主規制の効かないごく一部の女性の被害妄想に過ぎないのです。

1999年12月29日

厚底靴に怒る暇な老人の悲劇

 今時こんな投稿が新聞に載るのもどうかともうが、ある老人が投書で最近の娘達に激怒していた。要は、金髪でブランド品を持っていて、携帯電話で話ながら歩いていて、厚底靴や厚底ブーツを履いているのが「わがまま」だというのだ。そしてとどめに、自転車専用の横断歩道を歩いている。この国の交通法規はどうなってしまったのか!と。

 この世の中が金融改革とか医療改革とか年金改革とか高齢化問題とか少子化問題とかオウム真理教問題とか普天間基地移設問題とかペイオフ延期問題とか、他にも身近で論じるべき話題はいろいろあるでしょうに。いや、もちろん、そういう話題があっても良い。ただ、貴重な老人の怒りのパワーをそういう方向へ向けないで欲しい。

 僕が払っている年金がこんな老人の生活を支えるのに使われているのかと思うと、そっちの問題がの方がはるかに心配なのだった。もっとも、これを載せた新聞社も、なんだかな〜と思うのだけど。

1999年12月28日

上祐の大輸送に多額の税金?

 さて、いよいよ29日にはオウム真理教の上祐史浩が釈放されます。どうやらオウムに復活して、ばりばりがんばるつもりでいるらしい。「うちの村には来ないでくれ!」とオウム関連施設を抱える自治体は頭痛がんがん。さて、世紀の一瞬はどうなることやら。

 ところで、この上祐を広島刑務所からただ放り出すのはまずいのだろうか。

 なにしろ、一部報道では車で広島空港まで運び、そこから飛行機からヘリコプターで東京へ向かわせるという説がある。……なぜそこまでする。僕達の大事な税金を、そういう使いかたして良いのだろうか。これは素朴な疑問だ。だれか質問に答えてくれ!

1999年12月27日

その地震に、世界も揺れた

 くどいようだが、ニュース・トップ10。今度は99年の海外のニュース。くどいようだが、恐い話がトップになった。1位はトルコで大地震。2位は台湾で大地震。3位がNATO軍のユーゴ空爆。年初には最大のイベントと見られたユーロの導入は、4位に押しのけられた。

 地震が当たり前の日本でも阪神大震災は90年代最大のニュースだったのだ。地震が滅多に起きない世界の各地で、トルコや台湾の地震がトップになるのも無理はなかろう。

 地震には、世界が揺れる。地域によってあったりなかったりするトルネードや、寒波とは訳が違う。そう。地震はどこでも起きるのだ!!

 今日はそれだけだ。それではまた明日。納得がいかない人は、掲示板に書き込んで下さい。

1999年12月26日

恐いニュースほど心に残る(90年代)

 今度は90年代のニュース・トップ10(国内)。共同通信社のまとめです。つい昨日、99年のニュースの話題をあげたばかりだけど、やはり90年代を通しても、恐怖がいかに人の心に強く焼き付くかが分かってしまった。

 1位は阪神大震災。2位が東海村の事故。3位がオウム真理教。

 恐い。とにかく恐い。今も日本は平和な時代には変わりがないのだが、この平和の中に潜む恐怖がいかなるものか。90年代を象徴する出来事でもあったのかも知れない。

 4位は細川連立内閣の発足。それ以降は「失われた10年」と言われるほどバブルに泣いた国内経済を反映して5位に戦後最悪の不況・過去最大の景気対策、6位に失業率過去最悪・中高年の自殺者急増。7位は拓銀、山一証券の破たん・預金者保護に10兆円国債。8位はバブル崩壊で大型景気にかげり・地価下落。

 僕は92年から日本に住んでいる。つまり、失ってもいないけど「失われた10年」を体験しているようで、ちょっと不思議な感じがしないでもない。2000年以降は、失ってもいないけど「巻き返す10年」となれば良いのだけど。

1999年12月25日

恐いニュースほど心に残る(99年)

 さて、楽しみにしていた(?)読売新聞の「読者が選ぶ10大ニュース」の結果が出ました。今年の国内第1位は「国内初の臨界事故」。原子力関連施設が立ち並ぶ茨城県東海村で起きたこの事件は、先日ついに死者を出してしまいました。やっぱり放射能は恐い。目に見えない、臭いも分からないし、この場合、肌で感じることもできない……サリン事件に匹敵する恐怖で日本中が震え上がったといっても過言ではなさそうだ。

 2位以下は読売新聞のホームページを見ていただきたい。神奈川県警の不祥事、国内初の脳死移植、ハイジャックで機長が死亡、などなど。今年もいろいろありました。

 ところで、読売新聞が参考に掲載してくれた過去の10大ニュース(国内版)のトップを見ると、98年は和歌山カレー事件、97年は神戸の小学生殺害事件(犯人は中学生)、96年はO(オー)157大量感染、95年は阪神大震災、94年は記録的猛暑で水不足。この先に93年、皇太子・雅子様の結婚とようやく明るい話題が登場する。

 とにかく全体的に、なかなか前向きなニュースは出てこない。やはり人間には恐いニュースの方が心に焼き付いてしまうようです。あるいは、前向きなニュースが出にくい時代を反映しているのか。2000年以降は「ガンの特効薬完成!」とか「新治療薬でエイズ死亡者半減!」とかに期待したいですね。

1999年12月24日

人の幸せを願うとき

 つい昨日のことだが、いつもけんかをする「新聞の集金おばさん」がやってきた。なんの前触れもなく毎月1万5千円の新聞代を徴収しに来る(なぜそんなに払っているのかは、あまり気にしないで欲しい)。「そんな、毎回突然来られても持ち合わせてないですよ」「え〜、だけどあんた、いっつもおらへんやないか!」「朝はちゃんといますよ!」「そんな朝早く来るのはこっちも大変や!」「前もって連絡してくれれば日曜日の昼でも払いますよ!」「今から銀行にお金おろしにいけばええやないの!」「そんなん勘弁して下さいよ!」……と言う具合になってしまう。

 だが、昨日はたまたま数万円を財布に入れていた。不思議と集金は穏やかに済んだ。「どうもありがとう」と、集金おばさんはいつになく腰が低かった。「いいえ、どうもお疲れさまです」とこちらも、いつもとは違った柔らかいトーンで接してしまった。その時ふと、神様が、前日の僕に多めにお金をおろさせていたのではないかと思ってしまった。

 なにしろクリスマス・シーズンだから。

 そう。クリスマスです。日本のクリスマスは商業主義に塗りつぶされていると嘆く人も多い。パパやママは子供にプレゼントを買って上げなくてはいけないような義務感に駆られるし、若者は恋人と一緒にいなくてはいけないような義務感に駆られるし。日本の若者のクリスマスに対する義務感は相当なもののようです。彼女を高級ホテルのレストランに連れてゆき、高級なプレゼントを渡し、彼女はそれで彼氏に何を捧げるものか……。みんなそれが何か間違っているような気がしながらも、なぜか歯止めがかけられない。

 日本よりキリスト教信者が多いアメリカでも、やはり、クリスマスと商業主義を巡る論争がある。クリスマスの贈り物が、日本で言うお歳暮に近い存在になりつつあるのだ。親戚にギフトを送り、取引先のお偉い様にギフトを送り、妻や夫に高価なプレゼントを贈り、子供にも特別な何かを買い与え……。大変な世の中だ。

 1人でクリスマスを過ごすのは罪である!みたいな焦燥感に追われている若者も、もちろんいるんだろう。残念なことだ。友達でも、会社の人でも、家族でも、一緒にその時を過ごす人がいればそれだけでも幸せな筈なのに。たとえ1人で過ごしていても、電話をかけて「メリークリスマス」と伝える誰かがいるだけでも幸せなはずなのに。どんなに高価なプレゼントを贈ったところで、本当にその人の幸せを願って、心を込めて「メリークリスマス」と伝えることができない人こそ不幸なのかも知れないのに。

 僕はキリスト教信者ではないけど、クリスマスというイベントには敬意を払っています。自分が普段けんかをして当たり前の「新聞集金おばさん」に柔らかく接することができてしまうような季節だからです。Time of giving and caring... そんなクリスマス・パワーの原点に触れることができたので、今年のクリスマスは良いクリスマスだったと思うことにしています。

 それではみなさま、メリー・クリスマス!

1999年12月23日

温かい関西の大騒動

 ニュースの項目でいえば、今週はとにかくすんごい一週間だった。まず中央政府を見ると、2000年度政府予算の編成で大蔵省と各省庁の折衝が繰り広げられ、ペイオフ解禁に向けた大蔵省の金融審議会が最終答申をまとめた。東海村の臨界事故から80日以上が過ぎ、ついに死者が出た。

 一方、関西に目を向けると大阪府の横山ノック知事がセクハラ騒動で辞職。京都では小学二年生が謎の男にめった差しにされて死亡。その間にも、報道は最後まで控えられたが、大阪府摂津市では小学二年生の女子が誘拐され、無事保護されるという奇怪な事件も起きた。

 こうして見ると関東一辺のニュースよりも関西のニュースの方が突発的だ。なぜこんなにも話題の内容が違うのかは分からないが、関西の人間の方が「猟奇的」な印象を受けて良くない。そうでなくても神戸のタンク山は少年Aの首切り事件で有名になりすぎたというのに。ストレス社会の結果として悲劇的な事件が起きるのだとすれば、関西よりは関東の方がはるかに大事件が多いはず。でも、昨年全国をわかせた毒カレー事件は、なぜか和歌山での出来事だった。

 関西に引っ越してきて、ようやく1年と数カ月が過ぎたところだが、やはり関西は温かい。味が深い。もちろん、東京だって下町には温かみと味が残っている。そうなのだが、関西はなにかこう、一つの大きな下町のような印象さえあるのだ。なのに、なぜ。こうした猟奇的事件も人間の温かみなんだろうか。人間くさいと言えば人間くさいけど……。

 せめてクリスマスは平和に過ごしたいところです。(それがオチか?)

1999年12月22日

たかが風邪、されど風邪

 今年は今のところ、風邪をひいてない。自慢じゃないが、ここ3年間は風邪を引いたことがないのだ。会社を休めないと言うプレッシャーもあるけど。しかしちまたではとにかく風邪が大流行。ちなみに、今年の1−3月に風邪で死亡した人は1287人と過去二十年で過去最悪だったそうです。もっとも、風邪はその年に流行するインフルエンザのウイルスの種類によってパワーが違うらしい。今年はミレニアム風邪とでも言うのだろうか。

 子供の頃からこれほど繰り返し繰り返し「風邪に気をつけてね」と言われながら、なぜ僕達は風邪を引いてしまうのか?しっかりと手を洗い、うがいをして、ちゃんと睡眠をとる……簡単なことだが、こうした防止策が効かないらしい。しかも、学校での予防接種がされなくなったことや、老人ホームでの集団感染など、時代の進展がインフルエンザの感染者を増やしている側面があるようだ。

 僕の風邪予防方法は簡単です。ビタミン剤を飲むこと。手を洗ってもうがいをしていても、とにかく仕事が忙しいときには疲れても働かねばならぬ。で、ビタミン剤を必要以上に飲むわけです。栄養が肝心。こんな簡単なことで、僕はここ数年風邪を引いていないのだから、まあまあな感じ?

 それではみなさま、くれぐれも、風邪には気をつけて……。

1999年12月21日

教会よりも裁判所に裁かれたい?

 ある男性のお話。教会の牧師に不倫を懺悔したところ、これを奥さんに伝えられた。男性は精神的苦痛を受けたとして、この牧師と教会に損害賠償1300万円を求めて訴訟を起こした。どうやら横浜地裁での一審では男性が負けたようだが、東京高裁では男性が勝利した。牧師と教会が50万円を支払うよう命じられたという。

 教会に詳しい人は是非是非教えて欲しい。懺悔というのは、だれにもばれないように告白できるのがミソなのでは?もっとも、今回僕が得た情報はここまでだから、なぜ牧師さんが不倫を奥さんに通告したのかがとても気になります。なんとか真実を明るみに引きずり出し、2人に和解をもたらそうとしたのでしょうか。あるいは、不倫が許せなかったのか。

 英語で言うと、somethings are better not be said というところか。日本語で言うと、世の中には知らない方がよいことがある……。うーむ。ところでこの場合、浮気を奥さんにばらされたのは、プライバシーの侵害なのでしょうか。夫婦の間にプライバシーというのもおかしな感じがするけど、現実ってそんなものだろうか。考えてみれば、「へそくり」なんてその典型だけど。

 まあ、懺悔がばれたらちょっとショックかも。とはいえ、こんなニュースで教会の信頼度が落ちないと良いけど。考えても見れば、僕達は人に何かを相談するとき、この男性と同じように懺悔の内容が漏れるリスクを背負っているわけだ。今日は柔らかい話題で行こうと思ったけど、だんだんヘビーになってきた。

 今回は「教会が自分を裏切った」と感じた男性の訴訟を、裁判所が裁いたわけです。しかし「友達に裏切られた」と思ったとき、やっぱり、裁判所よりは教会に裁いてもらう方が穏やかでいいかもな〜、と僕は思うのでした。もっとも、教会は懺悔を受け付けても、けんかの仲裁を受け付けているのかは分からないのだけど。

1999年12月20日

学歴社会より学問社会

 さてはて、日本のいわゆる「学歴社会」が批判的なニュアンスで使われるようになったのは、いつごろからなのだろう。おそらく90年代に入ってからだという気がするが、答えを知っている人は掲示板に書き込みをよろしく。今回は毎日新聞に掲載されていた、榊原英資氏の「学歴社会の崩壊」から。

 学歴社会、つまり日本型能力主義。これは西洋でプロテスタント的な禁欲・勤勉主義が近代社会を支えたのに匹敵する。日本ではサムライ精神とこの学歴社会が近代でもっとも力を発揮した。ところが日本が近代化を終えると、ともに腐敗する。とにもかくにも、日本の大学生は全般的に勉強をしないからだ。ところが、世間は僕達により高度な知識と能力を求めている。

 ここで榊原氏は学歴社会から学問社会の転換があるとする。問題は、その新しい体系がないがために、日本人の多くが世襲主義へと後退していることだという。このご時世にサラリーマンになるよりは、家の商店を継いだ方がましだ、という感じか。まあ、なんとなく分からないでもない。この記事に書かれているとおり、日本は政治家も財界も、タレントまでもが「二世」であふれているのも事実なのだ。

 ここからが僕の考え。じゃあ、その学問主義の体系ができあがるまで、僕らはどうするべきなのでしょう。逆に言えば、本格的な学問で自分達を武装する手段が、この国にはない。だからこそ、資格試験が大ブームになってくるのだけど、なにも世の中の誰もが公認会計士になれるわけでもないし、その資格制度もやや足下がぐらついている。弁護士が足りないと騒がれるこの世の中で、日本弁護士会は司法試験の合格者を増やすことに反対するぐらいだから。

 それで結局、考え抜いた人は外国に行ってしまうような気がしてちょっと不安。もちろん、僕自身、何も日本にとどまる必要はないではないかという思いがある。しかしそうして、マジな人が次から次へと外国へ出ていくようだと、結局この国に新しい体系はできないのではないか。そんな疑問もあるわけです。この辺が、社会を良くすることの難しさであり、ジレンマなんだな〜と思うのです。

 結論がないけど、今日のところはこの辺で。

1999年12月19日

「千年紀の偉人」にちょっと安心

 今後「1000〜1999年のもっとも偉大な人」的なランキングが各メディアで頻発しそうだ。せっかくのミレニアムの入れ替わりなのだから、まあ、それも良かろう。ゲーム雑誌は「千年紀のもっとも偉大なゲーム」をやるべきだし、アダルト雑誌なら「千年紀のもっとも偉大な官能作品」をやっても良い。普段から歴史の勉強が足りない僕にとっては、過去を振り返る良い幾何史となりそうだ。

 ところで、先日出たイギリスの大手通信社、ロイター通信の投票結果では物理学者のアルバート・アインシュタインがトップに立った。彼が方向付けた量子物理学が生命のあり方を一変させた、と言うことだ。2位にガンジーとマルクスが同位。4位はチャーチル元英国首相と物理学者のニュートンだから、この辺はやや地元のイギリスびいきか。

 まあ何にせよ、アインシュタインで良かった。アメリカではビル・ゲイツとか、それこそ本拠地のイギリスではジョージ・ソロス辺りが入ってそうで恐かったのだ。個人的には、イギリスびいきならビートルズだって入っても良かったではないかと思うのだけど。

 さて、自分なら誰を選ぶだろうか。この辺は是非このalpha-random talk の参加者にも意見も聞いてみたい。今のところ、あちこちの報道でちらほらとこの類の「偉人ランキング」が出てくる中、以外と芸術家が少ないのが残念だ。あと、千年紀を代表するのだから、あまり個人的に身近だった人物はダメなのだろうか。

 日本ではあまりなさそうだが、外国なら「私の両親」とか言う答えが多くても良さそうなものだが。そう言うのがありなら、僕はとりあえずこれで一票を入れるでしょう。やっぱり、両親なくてしてこの世界は存在しないからね。

1999年12月18日

アメとムチか、ムチとムチか

 北海道。柔道部顧問の教師が中学2年生の生徒に体罰を下した。技はズバリ、柔道の「払い腰」。これを食らった生徒はなんと床に頭を打ち付けて頭蓋骨を骨折。緊急手術のおかげで命に別状はないという。

 体罰の理由が凄い。教師が音読してクラスの生徒が黙読していたところ、この生徒だけ黙読していなかったのだという。それで頭蓋骨を骨折するほどの体罰を受けるのなら、授業中に喋った生徒はどうなるのだろう。コンクリートの上でジャーマン・スープレックスを食らうのだろうか。

 僕は体罰反対派なので、こういう話を聞くと「それ見ろバカやロー!」とヤジを飛ばさずにはいられない。もちろん、教師は免職。民事訴訟で8億円ぐらいの損害賠償と慰謝料を払うべきだ。もっとも、それで学生が死のうものなら、教師も死刑だ。

 大体、人間に「アメとムチ」が通用するのは赤ん坊の時ぐらいですよ。それ以上歳をとれば、誰だって悪いことをしたって見つからなければ罰を受けないと言うこの世のシビアな現実に気づくわけだから。しかしよくよく考えると、日本の学校なんてアメとムチどころか、ムチとムチではないか。ああ。日本の中学・高校に行かなくて良かったよ。払い腰どころか、三角締めで落とされてそのまま殺されていたかと思うと鳥肌が立つ。恐い。本当に恐い。

 黙読していなかったら、頭蓋骨骨折。……日本語になりません。

 ちなみに上述の教師は「大変なことをしてしまった」と反省しているらしい。どうして進歩しないのかな、日本の教育制度って。当たり前だバカヤロー!もうすぐ21世紀だよ。

1999年12月17日

その後のモニカ・ルインスキー

 まだやっていたのか、モニカ。これ以上メディアに登場してどうしようというのだ。クリントンおじさんとの云々はもう過ぎたのだ。だけど大統領を弾劾裁判に引きずり出し、あわや罷免にまで追い込みかけたこのお方の執念と波瀾万丈の人生はまだまだ続くらしい。

 今度は弾劾裁判への道を切り開いたとされるルインスキーの友人、リンダ・トリップを訴える可能性があるというのだ。リンダ・トリップはルインスキーとの会話を密かにテープに録音したことがある。このテープでのやりとりこそが、スター検察官がクリントン大統領を追訴するうえで物的証拠としておおいに活躍した。しかし、このテープ録音が法律違反であった。

 そこで、ルインスキーがトリップを訴える可能性が出てくるわけだが、もうこうなると後は友達同士のいがみ合い。しかし、よくよく調べると、トリップはルインスキーとの会話を録音していることを近所の友達に言いふらし、そのうえで「ホワイトハウスの元インターンに会わせてあげる」ということでクリスマスパーティーを開き、そこにルインスキーを呼んだというから事情は複雑だ。

 ああ。こんなことを調べているうちにはまってしまいそうだ。日本のメディアはさすがに追っかけなくなったが、本拠地アメリカではまだまだトップニュースに出てくる大騒動。モニカ。リンダ。そしてポーラ・ジョーンズ。女達の闘いは続く。ただ、ビル・クリントンはもう蚊帳の外なのだ。

1999年12月16日

さよならチャーリー・ブラウン(とスヌーピー)

 1950年から連載が続いていた世界的な人気漫画「ピーナッツ」が来年、連載を終えることになった。世界的に有名な「スヌーピー」が登場する漫画だ。1950年と言えば、僕が生まれる23年前。その間、延々と子供の視点からユーモアを伝え続けた作者のチャールズ・シュルツ氏はもう77歳。白髪のおじいさんだ。 

 連載終了の理由は癌(がん)だということだが、うーむ。77歳までよく頑張ってくれた。こういうおじいさんの話を聞いてしまうと、年金が少ないなどと文句を言う老人にはならないようにしようと思ってしまう。年金生活者のために金利を引き上げよなどというナンセンスな議論は、こういう偉いおじいさんには通用しないのである。

 僕は「ピーナッツ」の熱烈な読者ではないが、その息の長さには敬意を表したい。漫画に限った話ではないが、一つの作品が一時のブームとして消費され、忘れ去られてしまうのは悲しいことだと思う。日本で言うなら「こちかめ」や「ゴルゴ13」のように延々と続いている漫画の方が、文化全体にとって貴重なものだと、個人的には思うわけです。

 そんなわけで、シュルツ氏の息の長い執筆活動は経済的にも、文化的にもとても尊いものであると考えているのでした。

1999年12月15日

日栄は好きでないけど骨がある

 さて、今日はモーレツに眠いので手短に行こう。とにかく話題の日栄と商工ローン。社長が14日の証人喚問で、あっさりと脅迫的な取り立てへの関与を否定した。少しは反省して欲しいと思うが、本音を言うと、少し感心している。

 なにしろ日本の企業と来れば、なにがあっても「世間様をお騒がせしまして大変申し訳ありません」とすぐに謝る。僕は別に不祥事した会社に謝られてもぴんと来ないよ。利益供与なら社員と株主に謝るべきだし、銀行潰れてからだったら、ますます謝らなくても良いからお金返してよ、って感じでしょう。

 そこにこういうえげつないけど骨のある社長が出てきた。仮にこの社長が脅迫まがいの取り立てを指示していたとしても、テレビ画面を通して僕達に謝ることはないよ、と思う。だって、それで肝心の被害者と顔を合わせてなければ全く意味がない。裁判所でにらみ合って終わるのだったら、やっぱり、本人にちゃんと謝って、世間一般に対してはふてぶてしくしてての良いのではないかと。そんな気がするのです。

 関係ないけど、ノック知事のセクハラ問題でたくさんのおばさん集団がデモ行進なんてしているが、あのおばさん達の旦那さんのうち、本当にセクハラをしたことがない人がどれぐらいいるのか、本音調査をやってみたい。僕はフェミニストなのでセクハラは断固許さないタイプだが、ここでわいて出てくるおばさん達にも感心しない。何事も身近なところから攻めた方がいい、というのが僕のポリシーだから。(じゃあこれはなに?ってつっこみはなしよ)

 そう。不祥事興した会社の社長にも、まず家族に「心配させて済まなかった」と謝って欲しいのだ。

1999年12月14日

稼げ!神戸ルミナリエ

 昨日はドイツの話でしたが、今日は一転してドメスティックでローカルな神戸の話。

 そう、13日に光の祭典「神戸ルミナリエ」が始まった。知らない人のために説明しておくと(テレビであれだけ紹介されたら誰でも知ってそうなものだが)、これは神戸の街路に光り輝くアーチをたくさん並べて、その下を延々と歩くことができるという、とてもロマンチックで美しいイベントなのだ。今年は13日から26日までの開催。阪神大震災の犠牲になった尊い命の鎮魂の願いを込めて開くという主旨で、95年のクリスマス前に始まって今年で5回目。神戸市民であることの特典の一つでもあるように思う。

 ちなみに、夜の6時過ぎから10時半まで見ることができるが、できるだけ遅い時間に行った方が良い。何しろ、この期間の神戸はとにかく人でごった返す。一年中こんなに人がいれば、神戸経済だって……と思うのは僕だけではないはずだ。

 この神戸ルミナリエの複雑なところは、被災者の鎮魂を願うイベントが、入場料目当ての商魂イベントになってよいのか、ということで入場料を取らないこと。その一方で開催費用が6,7億円もして財政難に陥っているというから、電通は容赦ない。

 しかしいろいろな面で復興に課題を残す被災地を振り返ると、経済復興が遅れているのもまた事実だ。この際、えげつなくならないようにもっと地元が潤う工夫がされても良さそうなものだ。毎年がんばってこれだけの大イベントを開いて置いて、儲かるのが日本中を転々としている屋台営業者だけでは淋しいではないか。別に屋台営業者が儲けてはいけないというわけではない。ただ、もっと地元に、こう、金が落ちるというか、なんというか。

 ちなみに僕は仕事場がルミナリエの会場にごっつ近いのにもかかわらず、仕事場に詰め込んでいたためにきらびやかなオープニングを見ることができなかった。明日こそは……(といいながら、昨年は一回しか見ることができなかったのだった)。

1999年12月13日

がんばれドイツのヤング・サンタ

 ある新聞にこんな話が載っていた。ドイツの男子大学生にとって、クリスマスというのは稼ぎ時でもある。サンタに扮してプレゼントを待ち受ける子供達を訪問するようなアルバイトがあるからだ。ところが、このサンタ需要が今年になっていきなり冷え込んだ。昨年に比べて数分の一しか募集がなかったと言うから大変だ。

 そこで学生達はサンタに扮して「サンタに仕事を!」とデモ行進を計画した。ところがデモの許可が下りない。ナチスの苦い経験から、覆面や制服を着用したデモが認められていないのだ。この問題を巡って警察と関係者が議論し、サンタは髭だけなら良いという妥協案まで出た。結局、警察が譲歩してデモは実施されたようだ。

 この新聞記事の筆者も指摘しているが、日本の商業クリスマスに比べると欧米のクリスマスはより質素で、家族・家庭が一つになるときだという意味合いが強い。「与える」という行為が強調され、「分かち合い」が方々で叫ばれる。サンタクロースが子供達の夢を育てるときでもある。

 僕がサンタクロースが実在しないと言うことを知ったのは、小学2年生の時。やや遅い気もするが、それはそれで良い。僕なりに、サンタクロースが自分の想像力を育んだという思いがあるからだ。

 神は人の心に宿るという言い回しがある。ドイツの若いサンタクロース達が子供達の家を訪れ、子供達がそれに喜ぶ顔を想像してみてほしい。サンタクロースもやはり、僕達の心の中で実在するのではないか。と、思うのだった。

1999年12月12日

サラリーマン川柳で頭をほぐし

 本屋で「平成サラリーマン川柳傑作選、九回裏」(講談社)というのを買った。題名の通り、サラリーマンに関する川柳がたくさん載っている。これがけっこう笑える。バカ笑いというよりは、苦笑いの方が多いのではあるが。

 考えても見れば、今時のサラリーマンは大変です。昔から大変だったのかも知れないけど、とにかく、きびし〜い時代であることには間違いない。リストラ(正確には人員削減)の嵐が吹き荒れ、残業代は削られ、ボーナスは落ち込み、日々何をするともなくストレスがたまっていく。いっそのこと、全部実力主義の能力旧制度にしてくれよ!と思いながらも、そんなことになったらそれはそれできびし〜い現実の壁にぶち当たるのがオチかも知れない。

 そこで出てきたのが、そうした月給取りの悲哀をうたったサリーマン川柳。五七五の型にはめることで、同じメッセージもどことなく和らいだ感じがする。巧みに語呂合わせまでされたものになると、そのうまさに思わず微笑んでしまう。こうしてでたらめな文章を書いてばかりいる自分も、少しはそうしたノリを取り入れなくては、と思うほどだ。とにかく頭がほぐれていい。

 そんなわけで、下にいくつか面白かったものを紹介します。

○コストダウン、叫ぶあんたがコスト高

○恋人がいるかと聞かれ「はい いります」

○あきらめろ、おまえは俺の息子だぞ

○朝帰り妻と子供は里帰り

○不登校の子に励まされ出社する

 いや〜。シビアながらに温かくて良いですね〜。

1999年12月11日

死体写真を巡るエトセトラ

 インターネットというのは何でもありなのだ。カルトな宗教団体が堂々と世界を相手に宣伝活動を展開できるし、お子さまは見てはいけない超ハードコアなポルノ画像が(中には大人が見てはいけないものも)あるし、爆弾の作り方だって調べることができるし。

 個人的にこの「なんでもあり」を一番極めているのが、死体の写真を掲載しているページだと思う。そんなの見るなって?その通り。でも見てしまった。交通事故で頭蓋骨がめちゃくちゃに壊れてて、血みどろの中に脳味噌が砕けたようなやつだ。ある犯罪者が死体から首や××を切り落としている写真もありました。ぐろい。とにかくえぐい。

 良心的なホームページを作っている良い子の僕は、そうした写真を探検隊として発掘しながらも、なんで作者はこんなページを作ったのか、と疑問に思うわけです。というか、サーバーの管理会社から警告を食らったり、場合によっては逮捕されたり、あるいはプライバシーの侵害で訴えられるかも知れぬリスクを背負ってまで作るほどの価値があるのだろうか。

 ポルノ画像はわかりやすい。エッチな写真は売れるからだ。無料でエロ画像を掲載しているページでも、大方スポンサーが付いているから、いくらかの収入を得られることには変わりがない。しかしあんた、だね。死体の写真で一生懸命ホームページを作っても、儲かりませんよ。そう。だれも金を出してまで買おうとは思いません!(え、思う?)

 そうなると、単に趣味として楽しんでいる、というところに行き着いてしまう。死体画像が趣味。……うーむ。友達でなくて良かったよ。探検隊として時には危険なところに足を踏み入れながら、自分がちゃんとこちら側の世界にいることを確認してしまうのであった。

1999年12月10日

広告がすべてをタダにする日

 ネットでソフトをゲットするミーとしては、シェアウェアよりもフリーウェアの方がハッピーなのは言うまでもない(ちょっとカタカナモードしてみた)。しかしソフト開発者としてはマネーがなくてはやっていけないケースも多いわけだから、最近はシェアウェアの登録コードをネット上で手に入れてタダでソフトを使うような真似はしなくなった。そう。今だからいえるが、昔はそう言う悪いこともしたさ。

 ところで最近、ジオシティーのように無料でホームページのスペースを提供する会社が増えている。仕組みは簡単だ。自分が作ったホームページに必ず広告が入る。最近は業者側で自動的に広告を挿入するようになった。このホームページもそうだが、もはやHTMLに広告用のソースを書き込む必要もなくなった。

 インターネットプロバイダーにも、電話代以外は無料で利用できるが、その代わりに数分に一回広告が流れるというのがあった(昔新聞で読んだのだが、いまもあるのだろうか……)。要は広告が入ればすべて無料になるのだ。考えても見れば、テレビもラジオも無料ではないか。新聞だって、印刷料と配達料が広告でまかなえれば無料になるかも(そりゃないか)。まあ、新聞も広告がなければ今の倍の値段がかかると考えて良いわけだから、広告のパワーは凄い。

 何がいいたいかというと、最近はフリーウェアにも広告が入るものが登場したのです。たとえばStuffIt Expander とか。圧縮されたソフトを解答するたびに、製品版の宣伝が出てくる。ああ、うざい。これなら$10ぐらい払っても良いからシェアウェアの方がよいかも。これは会社イメージを良くするとか、人に製品のことを知らしめるための広告ではない。製品を買わなくては不快感が高まるという、新手の広告だ。

 僕はつい最近まで広告がすべてのものをタダにする日が来れば良いと思っていた。しかし、そうもいくまい。グッチのカバンがタダになっても、そこにマクドナルドの広告がでかでかと載っていたのでは台無しだ。広告用電光掲示板を搭載した自動車がタダでもらえるとしたら、それを気持ちよくマイカーとして利用できるだろうか。見る側にしても、発信する側にしても、広告にはやはり不思議な拘束力がある。魔力というか、なんというか。だからというか、なんというか、NHKが民放に比べてべらぼうな費用を使って番組を作っていながらやっていける理由の一つ(もう一つは国営放送であることだが)に、そんなこともあるのかなぁ、と。

1999年12月09日

有名人はつらいよ−−槙原敬之編

 覚醒剤取締法に違反したと言うことで、槙原敬之(30)が有罪判決が下った。この話題でメディアが割れた。今、僕の手元にある新聞三紙の見出しは以下の通り。

○毎日: 覚醒剤事件、槙原被告に有罪 〜 「多くの人の信頼裏切る」、東京地裁執行猶予

 これが一番厳しい。同じ覚醒剤所持でも、著名な歌手であるがゆえに多くの人の信頼を裏切った点を強調している。これが有名人のつらいところだ。

○読売: 槙原被告に猶予判決 〜 覚醒剤事件「犯行認めて反省」、東京地検

 これはやや同情的か。記事の見出しだけを見た読者は「槙原って偉いな、ちゃんと反省したんだな」という印象を受ける。

○日経: 槙原被告に有罪 〜覚醒剤事件、反省認め執行猶予、東京地裁判決

 毎日と読売の中間だ。有罪判決と執行猶予をバランス良く伝えている。ただし、味気ない。

 もっとも、記事の内容はどれも大きく違うことはない。ストレートニュースだから、淡々と判決内容が書き記されているだけだ。しかし見出し一つにメディアの姿勢が現れる。ちなみに一番厳しい見出しをつけた毎日新聞は、深々と頭を下げている写真を掲載。これでは顔が見えないと判断したのか、顔写真を別につけている。読売新聞の写真は槙原被告が「神妙な面もちで判決に望む」場面を掲載。日経はただなんとなく裁判所に入っていく槙原の顔。

 毎日新聞の紙面担当は槙原を嫌っていたのだろうか?あるいは、有名人が犯罪だなんて許せない!という「正義のジャーナリズム」の血が騒いだのか。読売新聞の紙面担当は、実は青春時代の辛いときに槙原の曲に励まされたという過去があったのだろうか。「有名歌手だって人間さ。時には間違いもあるさ」との想いがあったのだろうか。日経新聞はいまいち思い入れがなかったのが、あるいは、冷徹なジャーナリズムに徹したかったのか。

 各紙の思惑についていろいろと想像を張り巡らせてしまう報道であった。

1999年12月08日

スキャットマンのメッセージ

 なぜ今日になって新聞に出ていたのかは良くわからないが、3日にスキャットマン・ジョンが逝去した。57歳。死因は癌(がん)。アメリカのカリフォルニア州でのことだった。

 悲しい。

 なんでこんな偉い人が、早く死んでしまうのだろう。

 1990年代の半ばまでは、ホテルのピアノ奏者だった。いわゆる吃音(きつおん)に悩んでいたが、それが自分の才能だと気づいたことで人生が変わった。スキャッティング(と彼自身は呼んだ)をラップ調に歌うその独特の音楽は、聞いていて楽しい音楽だった。

 一方で、歌詞を聞き取るのは難しかったかも知れないが、その内容はとても温かいものがあった。「僕にできるのなら、君にだってできる」そんなメッセージを繰り返し繰り返し歌っていた。欠点を克服してブレークした自分の体験から来る言葉の数々は、説得力があったし、励まされた。

 時に僕達は、自分を振り返るのを忘れる。社会はシビアだ。いろんなものが、僕達をつぶしにかかる。その中で、自分で自分を潰してしまう人だって少なくはない。悩むばかりで自分の才能を生かすことを忘れる。自分の可能性を探ることにさえ至らないことも多い。

 そこにスキャットマンのメッセージがある。僕達一人一人が意味を持って生まれてきた。僕達一人一人にしかできないことがある。誰もが何らかの才能を持っている。それは自分としっかりと向き合うことできっと見つかる。

 スキャットマンの曲を聴いたことがない人は、これを機会にCDを買ってほしい。

 最後に、スキャットマンにありがとうを言いたい。ありがとう。ありがとう。

1999年12月07日

一昔前、この国の売り物は「和」であった

 元大蔵省財務官で「ミスター円」とも呼ばれた榊原英資氏が、ついに日銀の速水優総裁に対して辞任を促す発言をしてしまった。たしかにここのところ、日銀の金融政策は右往左往した印象があった。金利目標だけでなく、量的緩和を含めた金融緩和策をとるのかどうかがやや不透明になったこともある。どう考えても円高は日本経済にはプラスよりもマイナス面が大きいのに、円高を容認するような発言をしてしまったのも、まあ、日銀総裁としてはやや頼りない。

 しかしなにも、辞めろとまで言わなくても良いじゃないですか。そうやって元大蔵相の人間と日銀がいがみ合うことで、市場に対する通貨当局のメッセージはさらに曖昧になってしまう。98年の夏まではこれが理由で円が売りに売られた。景気回復のために超低金利政策を続行する日銀と、低金利が円安の最大要因であるにもかかわらず円買い介入を実施した大蔵省……。

 いまなら低金利政策の日銀と、円売り介入の大蔵省だから、通貨政策としては両者の思惑は同じところにある。ただ、金融調節を巡ってもめるとなると、もはや問題はポリシーミックス以前の次元に引き下げられる。「通貨当局はみんな仲が悪いし、意見が一致しないから政策も鈍い。ならば、もめている間に投機的売買を仕掛けてしまえ」。そんなディーラー達の思惑は膨らむに違いない。

 通貨政策の両輪ともいえる大蔵省と日銀の言うことがばらばらで、ついに辞任勧告発言まで出てきた。……これは単なる足の引っ張り合いだ。アメリカで財務省と米連邦準備理事会(FRB)がけんかするのを見たことがあるか?いいえ。ありません。かれらはお互いのやるべきことをそれぞれにこなしながら、他人のことには口を出さずにしっかりと歩調を合わせて金融政策に挑んでいるのです。榊原氏のズバズバものをいう正確についてはともかく、辞めろなんて言う前に、そっと助言をしてあげて欲しかった。

 アメリカの景気がドン底でジャパン・バッシングが盛んになっていた80年代に、日本人は反論としてよく言ったものです。日本が勝ち続ける理由の一つは、日本人が「和」を重んじて全体のために働くからだ、と。考えて見れば、一昔前の日本の売り物は「和」であった。時に行き過ぎな面もあったが、日本には至る所にチームワークがあったと思う。そのスピリットはいったいどこに行ってしまったのでしょう。あるいは日本は不況に振り回されて、どこかで勘違いをして大事なものを失ったのかも。

 うーむ。今回はヘビーな展開になってしまいました。

1999年12月06日

2000年問題でトイレが噴水に(なったらいいのに)

 西暦2000年までのカウントダウンが始まる頃には、2000年問題に対する不安も相当高まっているに違いない。世界中がみんなが同じ話題で緊張を共有できるというのは、多分、湾岸戦争やコソボ紛争でもないのではないか。決して湾岸戦争やコソボ紛争が2000年問題に比べて軽い問題だというのではない。ただ、こればかりは世界中の誰が被害にあっても不思議ではないという気がする。

 ところで、僕もこの2000年問題のせいで大晦日に出勤する羽目になりました。仕事場で年を越すなんて、おつじゃないか。まあ、金融機関や電気、ガス、水道、電鉄、役所などなど、いろんな業種で臨時出勤体制が敷かれているようなので、何で僕が……と一人で愚痴るのも妥当ではなさそう。みんなで一斉に叫びましょう。

 2000年問題のばかやろー!

 ところで、2000年問題で何が起きるのだろう。自動車のカーナビは9月か10月だかに、すでにトラブルを起こした。海外ではレジの機械が2000年以降のクレジットカードを受け付けずに、店内のレジ機が一斉にシャットダウンするという事件もあったそうな。しかし国内に目を向けている限り、2000年ジャストで大パニック!という展開はなさそう。大手企業はちゃんと模擬試験や特別訓練をやっているのだから、その辺はまあ良いのだ。

 後は中小企業か。システムが2000年問題に対応できていないのを知らずに、工作機械を動かそうとしたら動かないとか。それぐらいはありそうだ。しかしこういう問題が出るのは年が明けて初めての営業日ということだから、結果は1月4日とかだよ。僕が大晦日に出勤しても、結局やることはないということだよ。改めて言おう。2000年問題のばかやろー!

 というわけで、個人的には害のない程度で、何か笑えるハプニングがないかと期待してしまうわけです。たとえば、役所の前の噴水が逆噴射して、代わりにトイレが噴水状態になるとか……。

1999年12月05日

ヌーディストは結構マジだ

 なぜかは良くわからないが、海外にはそこそこの数の「ヌーディスト」達のホームページがある。そこに掲載されている写真を見る限り、ヌーディストビーチというのも実在するようだ。しかし、ここでエッチなことを考えるのはよくない。ヌーディスト達にはそれなりの哲学がある。彼らの言い分はこうだ。

 まず、全裸でいることで互いを信用することができる。「包み隠さず」、互いの個性と欠陥を受け入れられる。全裸は肌を新鮮な空気にさらし、皮膚呼吸を活性化すると同時に人体の温度調節機能を高める。特に下半身につける衣類は不必要に生殖器の温度を高めるので、男性なら精子、女性なら卵子の製造活動を鈍くする。衣類は子供の教育によろしくない。衣類は子供達が自分の体に自信を失う最大の理由であり、異性に体の仕組みに対する好奇心をあおり、セックスを「禁断の果実」にしてしまう。

 正しいかどうかは別として、少なくとも彼らは徹底的に自然主義を追い求めているわけです。というか、自然主義を貫く一つの手段としてのヌーディズムがある。エロティシズムはかけらもない。それが逆に恐いのだが。

 考えてみると僕も、温かければシャワーを浴びた後はタオルを腰に巻いてのんびりしてしまうタイプだ。他にもそう言う人は多いのかも。出張に出かけたサラリーマンが、ホテルで下着をすべて脱いで初めて解放された気分になる、というのも分かるような気がする。全裸でいることの解放感は、まあ、認めても良いかも知れない。

 しかし、現実的にはどうなのだろう。ヌーディストビーチの写真に写っている人達は、ついつい興奮してしまわないのだろうか。全裸で走り回る子供達の写真にも、やや不安を覚える。家の中での全裸が許されるのも、一人暮らしの間だけだ。年頃の娘がいるおじさんは、そうもいかない。もちろん、年頃の息子がいるお母さんも同様だ。

 要するに僕達が生きる社会では裸は猥褻であり、罪なことになっているのです。人間はすでに「完全に自然に帰る」ことなんてできない状態になっている。必死にヌーディスト活動を展開する人々の熱意は分からないでもない。ただ、やっぱり、なんというか、こう……極端だな、という感じだね。

1999年12月04日

インターネットラジオとLRT

 最近、RealPlayer を使ってインターネットでラジオを聴いている。7年前に日本に帰ってからはなかなか好きなFMチャンネルが見つからなかったし、AMのトークもやっぱり、ラジオ大国のアメリカに比べるといまいちだった。それがインターネットでアメリカのラジオが聴けるようになったので、私としてはなかなかハッピー。

 特にむかし自分が住んでいたデトロイトのFMチャンネルなんかが出てくると、もう感激。懐かしさのあまりに午前4時まで聞き込んでしまった。アメリカのFMチャンネルは一つのジャンルに徹底している。好きな音楽を、24時間聞ける仕組みなのだ。

 トークに関して言えば、視聴者が電話をかけてきて、DJと必死に社会問題とかを議論するのが面白い。ローカルな問題もあれば、全米的な問題もある。市民が政治に参加するというのは、こういうことを言うのだろうな、と思うわけです。その中で出てきたの一つの話題が、LRT問題だった。

 LRTというのは、Light Rail Transit、つまりライト・レール・トランジットのことです。ようするに、日本で言うチンチン電車が発展したものと思えばいい。町中で導入されれば、交通渋滞の解消とか、地球温暖化ガスの削減に貢献するとか、中心市街地の活性化につながるとか、都会でも高齢者が暮らしやすくなるとか、いろんなメリットがあるとして最近にわかに注目を浴びている。フランスやドイツで導入する動きが盛んになっていて、関西を中心に日本でもにわかに整備構想がところどころに浮上しているわけです。

 で、この流れはアメリカにも波及している。ただしアメリカは恐ろしいほど車社会なので、「改めてそんなものを導入しても無駄だ!」という意見も多い。今回はフロリダのある都市が導入に向けた調査をするために大金をつぎ込んだと言うことで、市民の反対運動がインターネットのホームページでも展開されている。アメリカでは以前、People Mover というモノレールが「市民の足として有効なのでは」と言う話が盛り上がり、実際に導入した都市もあったが結局失敗したという事例なんかを紹介するわけです。

 神戸在住の僕としては、日本でこれに近い事例として神戸空港が真っ先に頭に浮かぶ。ただフロリダのLRT論争と神戸空港が同じかというと、ちょっと違うような気もする。アメリカではこういう運動が勢いづくと、一気に地方政治の政権が民主党から共和党に傾いたり、その逆が起きたりするので面白い。神戸空港は延々と市民運動が続いているが、結局市長選では現職市長が勝ったし、99年の統一地方選挙でも空港賛成派の自民党や公明党、民主党が勝った。

 第一回目から長くなって恐縮だが、結局日本の市民って政治意識が足りないのだなぁ、って痛感しているわけです。もっと身近なところから地方政治を切り崩せれば良いのだけど、もっと地方分権が進まないとそれも難しいし。せめてラジオのトークショーでみんなでがりがりと議論しても良さそうな話題はたくさんあったよね。インターネットの普及がこうした状況を打破してくれるのではないかと思う一方で、ネットの弱点は関心がないものは目にも耳にも入らないと言うところだから。そんなわけで、日本のメディアはがんばらなくてはいかんな、と思うのでした。そう、特にトークが売り物のAMラジオなんかがそうなのでは、と。